シルバーシオン犬舎紹介
シルバーシオンは富士山の麓近くです。一度遊びに来てください。
とにかく沢山のシェルティがいます。
朝霧高原から写した写真です。
シルバーシオン犬舎より15分くらいで朝霧高原に行けます。




この写真は下記の犬舎めぐりの中の文章に赤線で記した箇所の参考資料です。


私が30歳の時、初陣で日本コリークラブで幼犬組で出陳した時の写真です。
並みいるベテランハンドラーの競合を中に混じって争い,
幼犬組13頭中1席のトップになった時の写真で、最初の展覧会で生後180日で出展し、
まさか1席になるとは思いませんでした。
犬も半年で幼いうえ、出陳者も生まれて初めての未経験で出て1席を取るとは珍しい事です。
さらに、その上のクラスでも勝ち進み、ウィナ・ビッチを受賞し、
次の最終クラスの日本一を争う決定戦の7頭の中に入りました。
日本一にはなりませんでしたが、BOBを争うまで良い成績を修めたという事は、
最初のコリーを飼っての出陳で誠にまれな事です。
私は運についてるとしか思いません。
何もかも全然知らない私の初めての経験で、良い思い出となりました。


下記の文面にある赤線の記述の説明です。

この城東展の成績は私が始めてシェルティを手掛け、わずか8ヶ月しか経っていない幼犬クラスの出陳の記録です。

初陣でしかも初めて飼ったシェルティで当日のチャンピオンまで負かし、

最高峰のBOBを受賞したのは未だかつてない記録でしょう。

私にとってこれ程名誉で衝撃的な受賞は2度とないと思います。

私は初めて飼った犬に恵まれ、コリーもシェルティも初陣で全てが初経験の展覧会で素晴らしい成績を修められたという

事はただ、運が良かった、努力をしたとかいうことではなく、何か私に不思議な力が存在しているのでないかと思います。


『CH アップルアミーオブギルテッド』 初陣にて8ヶ月の幼犬組で当日の最高位BOBを受賞
                        
その何かは振り返ってみると、望月家の先祖は天平10年(西暦738年)に長野県の望月村の牧場の駿馬を神馬として

朝廷へ奉献する事から始まり、1200年以上前から朝廷直轄の牧場を任されておりました。貞観7年(西暦859年)には

貢馬の期日を8月29日を8月15日に改めたり、貢馬は毎年30頭に数を制定したという記述が残っております。

 この様にエリートの馬のみを飼育していたという古い実績があります。望月の先祖はこれらの牧場の仕事に携わって

おり、それらの貴重な資質が私に受け継がれて、動物の気持ちが直感的に分かったり飼育するコツが自然に努力せず

して解明できるというような感性は、祖先から受け継がれたDNAによるものだと思っております。

 現在でも「駒の里」で有名で毎年11月3日には望月馬事公苑にて草競馬大会がもようされ、

県内外から多数の馬が参加するとの事です。

 私は祖先から頂いた貴重な遺伝子に非常に感謝しております。


                                  



                                                                                                  
この記事は1995年に書かれました

※  このレポートは日本コリークラブの井上智子さんが1995年に執筆したもので、シルバーシオンを理解するには
    参考になる良い資料だと思い載せました。
シルバーシオンが理想とする体形